やんちゃ寺の特徴④だれがいても居場所

やんちゃ寺は、どうしてはじまったかというと、

 

居場所がなかったり評価が画一的だったりして、
ワルぶるしかなくなっている子たちが
羽を伸ばして等身大に戻れる場所を作りたい、と思ったからなので、

 

 

やんちゃ寺は、ゆくゆくは、

さとすーが別に毎回その場におらずとも、

 

特定の大人が毎回必ずおらずとも、

 

そこに来る全ての人に居場所感が届く
(あったかい注目が注がれるような)
場づくりをしていけたらな、と思っています。

 

 

さとすーは、さとすーが表に出ることが

ある意味キャッチーだったり、

やんちゃ寺を知ってもらうために良いのであれば

リソースとしてさとすーをやんちゃ寺のために活用しますが、

 

別に、

さとすーに会いにいくとか、

さとすーが中心でとか、

そういうことではないわけです。

 

 

やんちゃ寺は、居場所なので、

 

さとすーは、その居場所にただいるだけで、

ただそこに一緒にいる中の一人なだけで、

 

 

別に、さとすーが何を思って生きてきて、

どんな経験をしてきたか、は、

 

居場所にとって、特に重要ではないわけです。

 

 

もちろん、さとすー自身の人となり?というか

どういうふうに接するかとか、理解とか、

そういう部分では、

さとすーにはさとすーらしさがあると思いますが、

 

そんなことは、さとすーに限った話ではないわけです。☺

 

 

 

さとすー以外にも、いろんな輪っかが

やんちゃ寺に来ればあるし、

 

その日にたまたま集まったそのメンバーが

なんだか

承認し合いの心地いい空間をシェアできちゃう、

 

 

やんちゃ寺は、そんなイメージです。