やんちゃ寺は、どうしてはじまったかというと、
居場所がなかったり評価が画一的だったりして、
ワルぶるしかなくなっている子たちが
羽を伸ばして等身大に戻れる場所を作りたい、と思ったからなので、
やんちゃ寺は、ゆくゆくは、
さとすーが別に毎回その場におらずとも、
特定の大人が毎回必ずおらずとも、
そこに来る全ての人に居場所感が届く
(あったかい注目が注がれるような)
場づくりをしていけたらな、と思っています。
さとすーは、さとすーが表に出ることが
ある意味キャッチーだったり、
やんちゃ寺を知ってもらうために良いのであれば
リソースとしてさとすーをやんちゃ寺のために活用しますが、
別に、
さとすーに会いにいくとか、
さとすーが中心でとか、
そういうことではないわけです。
やんちゃ寺は、居場所なので、
さとすーは、その居場所にただいるだけで、
ただそこに一緒にいる中の一人なだけで、
別に、さとすーが何を思って生きてきて、
どんな経験をしてきたか、は、
居場所にとって、特に重要ではないわけです。
もちろん、さとすー自身の人となり?というか
どういうふうに接するかとか、理解とか、
そういう部分では、
さとすーにはさとすーらしさがあると思いますが、
そんなことは、さとすーに限った話ではないわけです。☺
さとすー以外にも、いろんな輪っかが
やんちゃ寺に来ればあるし、
その日にたまたま集まったそのメンバーが
なんだか
承認し合いの心地いい空間をシェアできちゃう、
やんちゃ寺は、そんなイメージです。