やんちゃ寺ができるまで④この世の全ては仮定で過程

高校生の頃、中学生の頃、

テストがあるから与えられた勉強をしていた頃は、

 

教科書に載っていることは

明らかに事実であることなのだと思っていました。

 

 

26歳で改めて高校の勉強をし直したとき、

あ、

全部、仮定で過程なんや。

ということがよくわかって、

 

ひとまず今のところそうなっていること

今のところこの説明で矛盾がないから採択されていること

として全てを勉強し直すと、

こんなにおもしろいことってありませんでした。

 

 

国も、仮定なんですよね。

 

ずーっとその分け方なわけじゃない。

 

今の分け方が「正解」なわけじゃない。

 

たまたま、今、そういう形で一旦落ち着いているだけ。

 

 

そういうことを思うと、

学校がメインの生活になっている今の日本教育だって、

 

以前は学校に当たり前には行けなかったわけで

学校に行けた方がいいなあ、と思って

がんばってくださった方々がいたからこそ、

今こうしてみんながほとんど学校に行く日本

になっているわけで、

 

だからおそらく、

今は、学校で適応できなければ人生詰んだ

おわた

みたいになってしまうことがまだまだ多い日本でも、

それが永遠に続くわけではないんだなと。

 

 

変えたいなあ

変わりたいなあ

と思う人間がいれば、

なんぼでも、変わっていくんだなあと。

 

そういうことも、わかりました。

 

 

これらのことも、

 

やんちゃ寺ができるベースのひとつになっています。

 

 

 

やんちゃ寺は、

民間の多様な居場所のひとつとして

 

多様な出番のひとつとして、

 

日本で得られる自己肯定感のバリエーションのひとつとして

貢献していけたらいいな、と思っています。