やんちゃ寺ができるまで③ドイツ研修

2018年11月、1ヶ月ほどお休みを頂き、

職場から、ドイツ研修に行かせていただきました。

文科省の日独青少年指導者派遣事業です。

 

私たち日本団のテーマは、「青少年の居場所」でした。

 

ドイツでは、公的機関の支援だけでなく

民間での多様な居場所が設けられていて、

自己肯定感を育む場は多ければ多いほどよいのだということを実感させてもらいました。

 

また、公的機関と民間の連携についても私たち日本団はドイツの皆様から多くを教えていただき、

 

・日本において民間で社会福祉に貢献する人材の多くがボランティアである現状

・プロフェッショナルとしての仕事内容に金銭的報酬が伴っていない現状

等日本の課題を目の当たりにして帰国しました。

 

 

さらに私は、高校での勉強をほとんどしてこなかったので、

第二次世界大戦のこと

冷戦のこと

今なお宗教戦争で苦しむ国々のこと

難民問題のこと

等にあまりにも疎い自分に直面せざるを得ませんでした。

 

日本からは遠く別世界のように思えるシリアやイラクも、

ドイツからは目と鼻の先で、

難民の方は日常の中に溶け込んで当然たくさんおられたからです。

 

 

帰国後私は、高校3年間すべての科目の勉強をやり直して、

いろいろなことを、自分の頭で考え直しました。

 

 

くそまじめに聞こえるかもしれませんが

ドイツでの日常生活の中に、

例えば学校教育一つを取ってみても、

 

地球のどこかで今も戦争が起こっていることが

身近な生活に確実に影響している、

 

ということを実感した私は、

 

 

他人の幸せが自分の幸せで、

他人の不幸はそのまま自分の不幸である、

ということが綺麗事でも何でもなく

そのままシンプルに事実なのだということがはっきりわかりました。

 

 

そして、

私は、生まれてきただけなのに、

なぜか、家がありました。

 

生まれてきただけなのに、

なぜか、ごはんももらえました。

 

そういう私は、

何かをしたかというとそういうわけではなくて、

 

私という存在が何かを与えたから与えてもらったわけではなくて、

たまたま私は日本に生まれてきたからいろんなものがありました。

 

だから、こちらもシンプルに、

私は与えてもらって生きてきたから、

私はこれから、与えて生きていかないといけない、

とも思いました。

 

綺麗事ではなくて、単純に、事実として、そう思いました。

 

 

こういった体験をさせていただいたことも、

気づかぬうちに

やんちゃ寺ができる、土台作りになっていました。